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January 01, 2005

人を殺すのは誰だ? ~拉致問題にみる自覚なき凄惨

さて新年です。
昨夜はテレビ朝日でやってる討論番組を途中まで観てました。
テーマは日本の今後について。初めの話題は北朝鮮拉致問題でした。

昨年は拉致問題に対しての世論の盛り上がり方が実にかしましかったですね。
実際に行われた外交政策に関しても、世間の注目度にしても、昨年ほどこの問題について取り沙汰された年はなかったのではないでしょうか。結果的には振り回されていたといっても過言ではないかと思いますが。

世論はいま、北朝鮮に対する経済制裁執行に向けて大きく動いています。また、日本国の行政も賛否両論あれどそれを享受する方向で動いてるのは確かだと思います。
度重なる北朝鮮の誠意の見られない対応。世論の怒りはかつてないほどに高まっています。それは本来、あくまで外交的な意味合いで行われていた拉致問題対策を、内政的な意味合いに転換せざるを得ない状況に来ているとも言えます。
外交問題たる拉致問題を解決せしめるための経済制裁ではなく、日本国民の憤怒を鎮める意味での経済制裁。
そこに「報復」という言葉を当てはめるのに、私は何のためらいもありません。
そこに「攻撃」という言葉を当てはめるのに、私は何のためらいもありません。
どのような段階を踏むのか、あるいはどのような形を取るのかはわかりませんが、経済制裁は行われるでしょう。
そしておそらくそれは何かしらの結果を生むことでしょう。
それがもし金正日体制の崩壊――ひいては現・北朝鮮の崩壊という、いまの世論が望む形として現れたとして、そのとき当の北朝鮮には果たして何が残っているのでしょうか。
想像してみてください。経済制裁によるさらなる北朝鮮経済の悪化。増殖する飢餓。独裁体制崩壊による混乱。
そこに人間の無残な死が横たわっていないなんてことはあるはずがありません。たくさんの人が惨たらしく死んでいくでしょう。
そしてそれはマスコミによって全世界に向けて報道されます。当然日本のマスコミも取り上げるでしょう。
その悲惨な映像を見たとき、日本の国民はどのように感じるでしょうか。あるいはいま現在声高に経済制裁を謳っている人たちは、果たして何を思うのでしょうか。
彼らを殺したのは誰か。
いま私たちはその歴史に新たな贖罪を加えようとしています。

繰り返しますが、経済制裁は行われます。
かつてこれほどまでにこの問題が注目されたことはないはずです。遺族会はこの期を逃しはしないでしょう。遺族会のアピール、それを増徴する世論の賛同。政府の足踏みはもはや許されないところまで来ています。
概算100名の拉致被害者の安否と日本国民の尊厳のために、数十万、数百万人規模の人たちが危機に晒されようとしているのです。百人が助かれば一人は犠牲になっても構わないなんて考え方は愚問かもしれませんが、しかしその可能性を経済制裁を訴えてる人たちは想像しているのでしょうか。
この問題が解決しなければ日本国民の尊厳が保たれないのであれば、その犠牲となる数十万の北朝鮮民の人としての尊厳はいったいどこに求めればよいのでしょうか。
私は別に経済制裁に反対する意思はありません。むしろそれは必然だとすら感じます。
しかしその上で私たちは知っておかなければならないのだと思います。
これは戦争なのだということ。
人が死んでいくのだということ。
平和解決のための手段などであるはずがないのだということ。
そこには確実に何らかの犠牲が生まれるのだということ。
先述した番組で靖国問題が取り上げられている最中に、ある評論家がこんなことを言いました。
――靖国は日本国民のやましさの象徴である。本当は国民全体の責任であったはずのものを、一部の戦犯とされた者たちにある種押し付けてきた。靖国を参るという行為はそのやましさを再確認する行為であり、それは日本の古神道の方針に何ら反してはいない――と。
私たちはいま、私たちの手で私たち自身に新たなやましさを加えようとしています。
このひどく破壊的な動きを止められないのであれば、せめて私たちはその事実に自覚的でなければならないのだと、私は思います。

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